ゆるふわ日記

ゆるふわだよね。

ある日のこと

    きっとぼくら世界が虹色になったそんな世界でぼくら虹色になった。ある日の帰り道ぼくら帰ることをしていた。ぼくら帰ることをしていたのはただの帰り道だった。ぼくらそんな帰り道で頭の中にピアノの音を持っていた。ピアノの帰り道はそれでぼくら彩られた道をあるいた道はピアノに彩られた帰り道だった。そして橙色の球体がぼくらピアノの帰り道を橙色に照らしていた。ピアノの帰り道を橙色の絵の具かなんかでそれをたんまりつけた筆かなんかで塗ったなんかがぼくらピアノの帰り道で染めたのは橙色の球体だった。緑色の葉っぱたくさんつけた緑色のなんかがたくさん連なって大きな緑色のなんかになっていた。そのなかでもいちばんひとつだけ大きな緑色のなんかがあった。橙色の球体が橙色のなんかを塗ったピアノの帰り道にいちばんひとつだけ大きな緑色なんかの下でぼくらほっぺたが赤くなるような秘密をつくった。それはなんか橙色のピアノの音だった。それはなんか赤いほっぺたの帰り道でありぼくら秘密の緑色のなんかだった。透明な水みたいなんが流れてる長い青色のなんかにも橙色の球体が橙色の絵の具かなんかを一滴落として橙色がにじんでいた。それをぼくら緑色のなんかの下から眺めた。なんか透明ななんかが赤いほっぺたのあたりをそっと撫でて遠くへ行った。橙色のピアノがずっと鳴ることをしていた。透明ななんかを追ってずっと遠くまでこう視線を送ると水色のなんかがずっと遠くまで続いていてそこにも橙色の球体が橙色の絵の具かなんかを筆かなんかにつけてこう雑に塗りたくったみたいなんになっててそこに白色のなんかがいくつも浮かんでいた。橙色のピアノの帰り道はなんか大切な橙色のピアノの帰り道になった。ぼくら大きな緑色のなんかの下の秘密は大切なぼくら大きな緑色のなんかの下の秘密になった気がした。大切な橙色のピアノの帰り道で大切なぼくら大きな緑色のなんかの下の秘密はぼくらのほっぺたを赤くした。なんかすっごく細い黒色の糸が目の下についているんだけどなんかすっごく細い黒色の糸からなんか透明な結晶がなんか伝っていてなんかそれが橙色の球体が橙色の絵の具かなんかで本当に細い筆かなんかで橙色の絵の具をちょっと塗ったみたいになったそれは橙色にちょっと塗られた透明な結晶がなんかすっごく綺麗だった。すっごく綺麗だったのはなんか目の下についているすっごく細い黒色の糸を伝っている橙色にちょっと塗られた透明な結晶だった。それがすっごく綺麗だった。それがすっごく綺麗だったからぼくはそれを持って帰ろうとした。でも指がそれに触れる前になんか透明ななんかがその橙色にちょっと塗られた透明ななんかをさらっていった。ぼくらその透明ななんかを追っかけたけどなんかその透明ななんかはぼくらのこと残してずっと遠くまでいってしまった。透明ななんかが橙色にちょっと塗られた透明ななんかをさらっていった先には橙色の球体に橙色の絵の具かなんかを雑に塗りたくられた水色のなんかがあってそこに白色のなんかが浮かんでいた。そんなぼくら帰り道を帰っていた途中のちょっと帰るのをやめた帰り道だった。ぼくら橙色のピアノが大切だった。橙色のピアノの帰り道はぼくらが帰るただの帰り道で緑色のなんかの下で赤色のほっぺたの秘密をつくった。ちょっと帰るのをやめた帰り道は橙色で緑色で赤色で透明で青色で水色で白色で黒色のなんかだった。きっとぼくら世界が虹色になったこんな世界でぼくら虹色になった。

火曜の晩

    火曜の晩、地獄の判事である私は神秘不可思議な衝動を神から与えられた。正しく忌むべき罪人を裁く権利を手にしたに等しい。私は神より授かりし処刑の令状を片手に火曜の晩の酒場街を見回っていた。火曜の晩にはそれが火曜の晩であるにも拘らず、炎に集う害虫の様に醜い者達が蠢いていた。火曜の晩に集う者達をどれほど心の広い神ならば赦すことができるだろう。私はこの害虫共を一匹残らず殺傷する使命を与えられているのだ。背広を着た男、声の煩い女、乞食、悪臭を放つ老婆、耳障りな弦楽器を鳴らす浮浪者、目に入る人間は皆処刑の対象であった。そんな中、視界に入った瞬間に全身の血液が煮え滾るほど一際憎い害虫がいた。赤い髪の女だ。火曜の晩で赤い髪の女を見て殺さずにその場を後にできる者が果たしているだろうか。神は赤い髪の女を赦すことはできない。地獄の処刑人も判事も赤い髪の女を赦すことはできない。私は神の使いとして、地獄の判事として、火曜の晩の処刑人として、強く拳を握り、血管を浮かせ、赤い髪の女に近付いた。そしてもう一歩で私の拳がその顔面にぶつかるかというところで、赤い髪の女は私の明確な殺意の眼差しに気付き、駆け出したのだ。私の殺意は天に達していた。赤い髪の女への憎悪が渦巻きそれは神の意志となった。赤い髪を自らの血液で更に赤く染めてやろうと、握った拳を爪が手のひらに食い込むほど強く握り直した。腹を引き裂いて内臓を取り出し塩をかけてやれと、神の御達しだ。赤い髪の女は処女ではない、何故なら髪が赤いからだ。処女でない女は死なねばならない。そしてついに女の襟を掴んでやろうとしたところで、赤い髪の女は突如振り返って叫ぶように言った。なんですか、と。その時、私のいる世界は火曜の晩ではないことに気が付いた。そこは先程の火曜の晩の酒場街ではなく、人工的な白い光で満たされた絶望の空間であった。どういうことか足が竦み、赤い髪の女の顔面を殴って眼球を抉り髪を赤く染めることや内臓を取り出し塩を振り炙って食うことができなくなった。火曜の晩は火曜の晩ではなくなったのだ。いや私が今迄火曜の晩だと思い込んでいたものが実は火曜の晩ではなかったのかもしれない。赤い髪の女は再び私に背を向け歩きだした。それを追うことはもうできなかった。火曜の晩とは幻想だったのか。白い光に包まれた空間では、赤い髪の女はとても美しかったのだ。

信号

    歩く男は青色に光っては消え光っては消えを繰り返し、暫くすると赤ワインの海へ沈んだ。目の前を秒速三十万キロの光るものに引かれて時速六十キロの光らせるものが通過した。どこかで機械の鳥が一度鳴いたきり、洞窟の出口は閉ざされた。誰かが透明な釣り糸で電球を垂らしていた。脳は脚を動かす信号を止め脚を動かすのを止めるという信号を送った。色の売人が黒にほんのり青を混ぜた絵の具を洞窟の天井に塗った。誰かが吐き出した煙草のけむりが釣りをする誰かの電球を隠した。赤ワインの海へ沈む男がこちらをじっと見つめていた。赤ワインの男は手を動かさずに手招きをした。秒速三十万キロの光るものが時速六十キロの光らせるものを連れてきた。脳は確かに脚を動かす信号を送った。右脚は信号を受け取ると宙に浮いた。そして放物線を描いて再び地に落ちた。悪戯な泥棒がテトラポットから水素原子を盗んだり他のテトラポットとくっつけたりしたものや、皮膚を覆う板状の繊維を飛び越えて、氷のように冷たい氷のようなものがその体温を伝えた。洞窟の天井から液体が一つ頬に落ちた。洞窟の天井から液体がもう一つ今度は手のひらに落ちた。どこかで機械の鳥が一度鳴いた。皮膚に繋げられた黒い糸を伝ってまた別の液体が一つまた頬に落ちた。隠れていた白鯨がまた姿を現した。白黒の帆を靡かせた船がそれを追っていた。しかし少女が揺れない風鈴をいたずらに鳴らすように静かに息を吹きかける映像が光ではない別の光に似たものが信号となって瞼の裏のスクリーンに映し出された。そんなビー玉のひとかけらががわずかな時間の隙間にあった。脳ではない誰かが脚を動かす信号を遮断し脚を動かすのを止める信号を送った。視線と意識の先に血まみれの男が倒れていた。脳はひとつの泡沫に信号を送った。ひとつの泡沫はひとつながりの糸へ信号を伝えた。信号はひとつながりの糸を通って指先に辿り着いた。指先は赤いボタンに信号を放射した。赤いボタンに伝えられた信号は雪国のトンネルの中を駈けてトンネルを抜けた先で倒れている血まみれの男に寄り添った。時速ゼロキロの光らせるものは秒速三十万キロの光るものを引き止めた。色の売人は洞窟の地面に白い線をいくつか描いた。機械の鳥が今度は頭の上で鳴いた。洞窟はいつの間にかトンネルになっていた。少女は息を吹きかけるのをやめない。誰かが吐き出した煙草のけむりも、白鯨とそれを追いかける船も、少しずつ前へ進んだ。透明な釣り糸を垂らす釣り人の電球がほんの少し顔をだした。そんな映像がスクリーンに映し出された。脳は脚を動かすのを止める信号を止め、脚を動かす信号を送った。そんなビー玉のひとかけらがわずかな時間の隙間にあった。青色に光る男は再び歩き出した。

冷たい夜の

 

 

 夜道をひとり歩いていた。すると暗い道の端で溶けているひとりの少女がいた。

 「どうかしたのか」
 話しかけた。急いではいなかったためだ。

 「体が溶けてしまっているの」

 少女の体は溶けていた。既に腰から下は溶けてなくなっていた。うーん、と、僕は困ってしまった。体が半分も溶けている少女に出会ったのはこれが初めてであったためだ。先ほどまで少女の下半身であったはずの液体はどろどろでもとろとろでもなくさらさらとしていた。そうこうしている間にも、少女の体はどんどん溶けているようだ。

 「熱いか」
 溶けているということは、熱いのだろうと、僕は思ったのだ。

 「いいえ、不思議と熱くはないわ。むしろ冷たいの。夜のコンクリートは冷たいのよ」

 たしかに夜のコンクリートは冷たいために、少女は熱くて溶けているわけではないことがわかった。

 「僕は君がどうして溶けているのかを知らない。君は自分がどうして溶けているのかわかるか」

 「わたしも自分がどうして溶けてしまっているのか知らないの」

 それはそれは困った状況であったが、その時の自分は、例えば助けを呼ぼう、などという発想を持たなかったのだ。少女の体が半分も溶けてしまっているために、僕は腰を曲げて、視線をなるべく合わせた。その時初めて、少女と目が合ったのだ。

 「君はとても綺麗な瞳をしているね」
 少女はとても綺麗な瞳をしていた。

 「そうかしら、もしそうだとしたら、今日の月が綺麗だからだわ」

 空を見てみると、そこには古い喫茶店の照明のような月が浮いていた。

 「溶けてなくなったら、どこへ行くのだ。死ぬのか。消えるのか。それは悲しいことなのか」

 「わからない。でもどうしてだか、怖くはないの。それはきっと悲しいことではないわ」

 少女はゆっくりと目を閉じて、ゆっくりと目を開いた。
「きっとわたしは、帰るのだと思う」

 夜の風が頬の液体を拭った。少女はもう胸まで溶けていた。僕は膝を地面につけて、両手をコンクリートに置いた。

 「帰るって、どこに」

 「それはわからない。でもきっとそうだと思う。そこはきっと帰るべき場所だから」

 夜のコンクリートは冷たかった。コンクリートに触れた手から、理由のわからない悲しみが全身に伝わった。それは少女の悲しみなのか。しかし、少女は悲しいことではないと言っていた。それでは、これは何の悲しみなのか。少女はついに顔だけになった。少女は帰ると言った。少女はどこへ帰るのか。僕はどこへ帰るのか。

 少女の透けそうなほど白い頬に僕はとつぜんに触れてみたくなって、僕は手を伸ばした。指の先が触れた瞬間に、少女の頬はこぼれ落ちた。それと同時に僕の胸のポケットから、たばこの箱がぽとりと落ちた。

 「たばこをいただいてもいいかしら。溶ける前にいっぽん吸いたいの」

 「君はたばこを吸うのかい」

 僕はコンクリートから箱を拾って、中にひとつだけ入っていたたばこを取り出し、少女の口元へと運び、マッチ棒をこすってその先の火をたばこの先に近づけた。

 少女がひとつ大きく息を吸ったのを聞いて、僕は少女の口からたばこを受け取り、自分の口へと運び、ふっと息を吸った。

 「君はいったい、誰なのだ」

 「それでは、あなたはいったい、誰なの。わたしは、わたしが誰なのかわからないの」

 「それでも生きているの。体が消えても、きっと生きてゆく」

 少女はまっすぐに僕を見つめた。
 「わたしはあなたを見ていて、あなたがわたしを見ている。それだけできっと、ぜんぶだと思うの」

 胸のあたりがむずかゆくなった。自分はいったい誰なのか。どうして生きているのか。生きるとはどういうことなのか。それは、誰にもわからないことなのかもしれない。しかし、それはきっと、誰にもわからなくていいことなのだ。

 「僕も連れて行ってくれないか」

 「私に腕があったなら、あなたの手を握ることはできたわね」

 「もう会うことはないだろうか」

 「もう会うことはないと思うわ」

 「さようなら」
 「さようなら」

 そして少女は姿を消した。悲しくはなかった。僕はこれからも、今までと同じように生きてゆくだろう。しかし冷たい夜のコンクリートの感触を、きっと僕はまた思い出す。

 水たまりは月を映し、その瞳は僕を見つめていた。僕は最後のたばこのけむりを吸った。

 

夏になってしまった

暑い。

 

    この季節になると地元で花火大会があって、毎年家の窓からそれをみる。性別の違う人と一緒に花火をみようと誘ってみたりしたこともない。窓から外を見ると目の前には僕が通っていた小学校の中庭やうさぎ小屋があって、花火大会の日はその上に大きな花が咲いた。しかし、何年か前に工事があって、そこには大きな体育館が完成してしまった。今では低めに打ち上げられた火の玉は下半分が遮られてしまったりする。背は高くなったのにおかしいね。それでも一際高く打ち上がる花火はしっかりと、窓の額縁には収まりきらないほど大きな花を咲かせてくれる。まっ黒い画用紙を鮮やかに彩ってくれる。ちなみにうさぎは僕が小学校にいたときにみんな死んだ。

 

 

暑い。夏になってしまった。

 

    昔は夏には海に行った。最近は行かない。海よりも旅館の方が好きだ。特に旅館のエレベーターの匂いが好きだ。旅館のエレベーターって大抵どこの旅館でも「旅館のエレベーターの匂い」がする気がするけどあれはどうしてだろう。今年は久しぶりに夏の海へ行けたらいいなと思う。 

 

    今年の夏も、氷を砕いて色のついた甘い水をかけて食べたいな。水風船を投げて遊ぶなんてことはしなくなってしまったけれど。風鈴の音がどこかで鳴っているならまだ生きていようかな。めでたしめでたし。

星間飛行

    ツーツーやあやあ久しぶり、こんばんはどうだいそっちの様子は、暮らしはどうだい食っているかね、そっちとはこっちかい地球のことかね、まあまあこれはこれは遠くからわざわざ、だけどこっちはこんにちはだねいやおはようございますかな、なんて地球はどうかな昼かな夜かな、地球に昼も夜もないかい、僕のいたところはどうかな、昼かな夜かな、妹は元気かな、いや妹なんかいたっけな、犬はどうかな猫だっけなウサギかもしれないなそもそもペットなんていたっけな、みんな元気かな、マクマーフィは相変わらず元気かな、ビリーも恋人とうまくやっているかな、そんなやつ本当にいたっけな、ところでここはどこだろう僕はどこにいるんだろう。

    ツーツーやあやあ久しぶり、こんばんはそっちはどうだいたらふく食べているかい、君の好きだったいちごもぶどうもまだたくさん畑でとれるのかい、魚はどうだい泳いでいるかい川の水はまだ透き通っているかい、まだウサギがお庭に顔を出すかい、かわいそうだから食べてやらないでくれよ、ところでどうだいこの電波は、届いているかい君の星まで、ところでどうだいこの声は、聞こえているかい君のところまで、かなしいきぶんになったとき、まだなみだをながすのかい君の星では、誰かといっしょいいるときには、ちゃんと心がぽかぽかするかい、ところで僕はどうだろう、もう誰とも会えないのかな。

   ツーツーやあやあ久しぶり、こんばんは調子はどうだい悪くないかい、まだたくさんの木が生えているかい、たくさんの葉がついているかい、冬になったらちゃんと落ちるかい、春になったら花を咲かすかい、空はどうだいまだ青いかい、空気はいつもおいしいかい、時には雨が降るのかい、そして虹が掛かるのかい、ずっとずっと海はつながっているかい、どこまでもどこまでも広がっているかい、そこに落ちる夕日は綺麗かい、それを大切な人と見るのかい、ところで僕は死ぬのかな、ちゃんと君のところへ帰れるのかな。

    ツーツーやあやあ久しぶり、こんばんは僕のこと覚えているかい、夜になると月が浮かぶのかい、それは何よりも丸いのかい、水面に映ってぼやけるのかい、それでも必ず明日がくるのかい、それはいつも明るいのかい、時には悲しい夜がくるのかい、だれかに会いたくなっちゃうのかい、誰かに電話したくなっちゃうのかい、ひとりきりだとせつないのかい、ところで僕は必ず帰るよ、お土産もちゃんも持って帰るよ、なんてダメかもしれない苦しいんだ、こっちにはなにもないけれどひとりきりだとせつないんだ、悲しいんだ、やるせないんだ、一緒だね。

    ツーツーやあやあ久しぶり、こんばんはこの声ちゃんと届いているかい、僕は君とまた会えるのかい、僕は君にきちんとサヨナラが言えたかい、寂しくないかい元気かい、ちゃんと笑えているかい、ちゃんと涙を流せているかい、それじゃあ僕はそろそろいくね、どこかでまた会えたらいいな、ちゃんと届いているかい聞こえているかい、幸せになってねさようなら、ところで地球はまだちゃんと青いかい。

五月は蘭淡のために

    ぽかぽかというより陽射しの針が痛いこと痛いこと、すっかり木々は青々と、茂って、ああ、これは夏だなと。それは小鳥たちが恋人を呼ぶ声であったり、風が木々を奏でる音であったり、それはそれは暖かな憂鬱が。海のある街に行ってみたいとそう感じる季節になった。しかし夏が美しいのって想像上だけで、若しくは記憶の中だけで、実際は気が滅入る滅入る、滅入るだけ。コンクリートに溶けてなくなりそうなからだを、アイスを溶かして誤魔化す、そんな魔法。鶴でも折るかと色紙を折ってみても出来上がるのは色のついた燃えるゴミだけで、ああもう鶴の折り方すら忘れてしまったのかと。でもきっとあのころは魔法が使えて、色紙を鶴に変身させることができたんだ。寂しくてどうしようもなくて、深呼吸する。魔法が使えて、神様もいた、あの頃に戻りたいだなんて。待っていれば夜がくるし、朝がくるし、まあいいか。雨の季節の入り口が見えてきて、ああこのままどうなるのだろうかと。時計の針がずれていることに気付いてなおす。そう言えばランタンってずっと日本の言葉だと思い込んでいて、それなら当然、漢字もあるのだろうと思っていたのだけれど、どうしても思い出せなくて、実際にそれを大きなクモの巣にかけてみると、なんと外国の言葉で、日本語では片仮名でしか表記されないんだって。でもランタンって可愛いよね。どうしてもお腹が空いて深夜のラーメン屋に入ったんだけど、財布の中にアルミホイルと青銅のそれが数枚はいっているだけで、本当に白銅の一枚すらはいっていないことにコップにお冷を注がれてから気付いて、それをひとくちだけ口に入れてから店員さんの目を盗んで店を出た。あのときは罪悪感と寂しさと果てしない虚無感で思わず涙を流してしまった。五月ってやっぱり、絶望ってほど大袈裟じゃないけれど、理由のわからない涙が流れる季節なのかな。蘭って冬の花らしい。まだ夏の扉を叩いたばかりなのにもう冬が恋しくなって、それはそれで嫌いにはなれない。淡い淡い青と、静かな夜。五月は愛しいほどの憂鬱であった。

息止め

    マフラーで君を絞め殺して雪の下に埋めた。片方の手袋をなくしたから。雪の様にまっしろな君の美しい顔には血の一滴すら感じられなかった。それは太陽の見えない日。かじかんだ手を温めあった。長靴を履いてふたり学校へ行った。水滴のついた窓硝子につくったふたりだけの文字。その瞬間そこはたしかにわたしと君だけの空間だった。時間は確かに吹き飛んで永遠になった。雪だるまをつくった。ほっぺたをくっつけ合って冷たいって笑った。アイスを買って捨てた。君はマフラーも手袋も持っていなかった。ふたりでひとつのマフラーをして。わたしの手袋を片方はめて。手袋のない手はふたりを繋いで。君の左手とわたしの右手。幸せとは君の体温だった。きっとその時ふたりはひとつになった。その日手袋を片方なくした。君が寒くないように首にはマフラーを巻いて。左手に手袋をはめて。静かに君を雪の下に寝かせた。ふたりだけしか知らない文字を雪に書いた。ただ冬が終わるのが怖かった。

まどろみ

    憂鬱な春が終わって憂鬱な夏になるのを感じる。春は失う季節だって誰かが言っていたね。生まれてからずっと春で、失うことでしか幸せになれない人のことをどうか忘れないで。夏の雲は流れると言うより泳ぐかな。だからそれは水しぶきで、夏の雨は嫌いじゃないかな。青春ってきっと、自転車を押して歩くことだったり、雨宿りだったり、影だったり、橙色だったり、するんだろうな。ずっと、綺麗なものは綺麗なままで。それは、硝子が割れる音だったり、時計の秒針を逆に回すことだったり、乾いてもいなければ濡れてもいない。冷たいけれど温かい。誰かが窓を開けてピアノを弾いているってことなんだ。君は教科書なんか読んでいない。ただその先には無形の美しいものがあった。君の目はただの水晶玉で、でもそれは紛れもなく綺麗なもので、色はなく、無限の透明さ。目の前でどんな悲劇が起ころうと決して濁ることはなく、追っても追ってもその先を捕まえることはできない。きっとそこには意味のない完璧な世界があるんだ。例えこの先ずっとずっと不幸でも、消えないものがひとつだけあればいい。蜜柑色の夏が始まる。年を重ねて、手の届かない場所は減った。しかし距離は縮まっても決して触れることのできない雲の様な。あそこを泳ぐ雲の様な。向日葵が咲くことだけが夏なんだ。森で少女を見たんだ。かつて僕たちのおもちゃは、あまりにも青い空とあまりにも強い陽射だけで十分だった。どうか儚さに気付かないでいて。風鈴の音が聞こえなくなる前に。自分の目に映るものだけが世界だから。眠りについて。時間を憎む前に。君の視線の先だけが夏だ。このままずっと夢の内容を語り合おう。あと少しだけ起きていよう。憂鬱なまどろみに包まれながら。夏の始まりは限りなく透明な橙色だったろう。

落花

    二本の鎖に繋がれた板が揺れると二秒前まで静止画であったその風景は筆を持って今度は私の心をカンバスへと変えてしまうが、時に荒々しく、時に静かに、しかし如何の場合でも確かに、その筆の毛の一本一本は鋭い針金に成り得るのだ。緑色の炎に焼き尽くされたそのあまりにも残酷な眺めに慈悲もなく天は致命的な一撃を落とし私は為す術もなくその場に膝から崩れ落ち心という曖昧なそれは木端微塵に吹き飛びただ時間を恨むことしかできないのだ。絶望は強靭な力を持ってして私の足を掴み決して離すことはなく少しずつ私を飲み込んでゆく。一秒たりとも戻ることはできないのだ。風は温度によって、また明るさによってその表情を変える。明るく温かい憂愁。暗くて冷たい恐怖。子供、残虐な物体。穢れを知らないもの、私の感情を蝕み破壊し冷たく錆びた鉄塊へと変えてしまう。私はこんなにも汚れてしまった。心は腐り千切れて地面に落ちる。口から醜い憎悪を吐いて音の無い号哭は誰の耳にも入らない。行き先を失った途方もない憎しみだけが頭の中で蜷局を巻いている。その蟠りは日を追うごとに大きくなり私の体長をも遥かに越える怪物と化し、私を丸呑みにした。後に残ったのは真黒に染まった怨悪のみだった。私の触れたところから鎖は錆びて朽ち果てていった。目からは液体が溢れ出る。しかしかつて透明であったはずのそれは濁り穢れを含む。時間を憎む。板に腰掛けるいつかの少女。風がそれを揺らす。少女の背中には翼が生えていて、優しく柔らかく、しかし逞しく空気を切ることができる。少女は空を飛ぶことだってできる。清く穢れの無い瞳は、時として刃物のように鋭く、私の胸の辺りを深く突き刺す。緑色の絶望は桜色の憂鬱へと変わる。花が散ったら永久に眠ろう。

    


    花屋の小娘を撲殺しようと店先まで出向いた。小娘はちょうどひとりで店番をしている最中である。小娘は私に気付くと緊張と恐怖が入り混じった何とも醜い顔面をこちらに向けた。拳を固く握りその既に腫れ上がった顔面を思い切り叩いてやる。店先に甲高い絶叫が響き、そのあまりの不快さに更に小娘の腹を殴りつけた。小娘は悲鳴を撒き散らしながら目から透明な液体を流した。ああ、美しい、この醜悪な小娘も、涙だけはこんなにも美しい。小娘はいつもの通り赦しを乞う文句を垂れ流しながら、まるで恐怖と苦痛しか感じられない眼差しをこちらに向ける。それがあまりにも憎らしくて私は彼女を叩く拳を止めることができないのだ。ああ、かつての、花屋の上品なお嬢さんはもう存在しないのか。女性は処女であるからこそ燦々と輝くことができるのだ。処女を失った途端に、どんな女性でも悪臭を放つ老婆へと忽ち変身してしまうのだ。この小娘を真白な百合の花から黒薔薇へと変えてしまったのは私だが、その瞬間から私の彼女への愛情はすっかりと消え失せてしまったのだ。
    私の腕も疲弊し彼女の浅ましい顔を見るのにも嫌気が差し、殴るのを止め花瓶を蹴散らしていると、背後でひとつの奇跡が起こった。小娘が立ち上がる気配があった。振り返るとそこには今までとはまるで別人の彼女が立っていた。生気を漲らせ、まっすぐにこちらを見つめていた。その激しい憎悪と憤怒に満ちたトリカブトの様に攻撃的な彼女の眼差しを私は初めて見た。私は怯んで体は土の様に固くなり、その場から動くことも言葉を発することもできなかった。彼女は両手に抱えた大きな植木鉢で、私に復讐の一撃を与えた。
    目が覚めた時には私は泥にまみれて天を仰いでいた。嬉しくてたまらなかった。彼女のあの眼差しを、私は忘れることができないだろう。