ゆるふわ日記

ゆるふわだよね。

五月は蘭淡のために

    ぽかぽかというより陽射しの針が痛いこと痛いこと、すっかり木々は青々と、茂って、ああ、これは夏だなと。それは小鳥たちが恋人を呼ぶ声であったり、風が木々を奏でる音であったり、それはそれは暖かな憂鬱が。海のある街に行ってみたいとそう感じる季節になった。しかし夏が美しいのって想像上だけで、若しくは記憶の中だけで、実際は気が滅入る滅入る、滅入るだけ。コンクリートに溶けてなくなりそうなからだを、アイスを溶かして誤魔化す、そんな魔法。鶴でも折るかと色紙を折ってみても出来上がるのは色のついた燃えるゴミだけで、ああもう鶴の折り方すら忘れてしまったのかと。でもきっとあのころは魔法が使えて、色紙を鶴に変身させることができたんだ。寂しくてどうしようもなくて、深呼吸する。魔法が使えて、神様もいた、あの頃に戻りたいだなんて。待っていれば夜がくるし、朝がくるし、まあいいか。雨の季節の入り口が見えてきて、ああこのままどうなるのだろうかと。時計の針がずれていることに気付いてなおす。そう言えばランタンってずっと日本の言葉だと思い込んでいて、それなら当然、漢字もあるのだろうと思っていたのだけれど、どうしても思い出せなくて、実際にそれを大きなクモの巣にかけてみると、なんと外国の言葉で、日本語では片仮名でしか表記されないんだって。でもランタンって可愛いよね。どうしてもお腹が空いて深夜のラーメン屋に入ったんだけど、財布の中にアルミホイルと青銅のそれが数枚はいっているだけで、本当に白銅の一枚すらはいっていないことにコップにお冷を注がれてから気付いて、それをひとくちだけ口に入れてから店員さんの目を盗んで店を出た。あのときは罪悪感と寂しさと果てしない虚無感で思わず涙を流してしまった。五月ってやっぱり、絶望ってほど大袈裟じゃないけれど、理由のわからない涙が流れる季節なのかな。蘭って冬の花らしい。まだ夏の扉を叩いたばかりなのにもう冬が恋しくなって、それはそれで嫌いにはなれない。淡い淡い青と、静かな夜。五月は愛しいほどの憂鬱であった。