ゆるふわ日記

ゆるふわだよね。

夏休みの島

 この島の海はすべてソーダ水です。この島は毎日が水曜日だけど、ここはずっと夏休みなのでいつもお休みです。この島ではゆったりと時間が流れます。この島はすべてがまっしろです。

 ある日、貝殻を集めながら白い砂浜をお散歩していると、自動販売機さんが元気に話しかけてくれました。
 「お嬢ちゃん、今日はとくべつ暑いから喉が渇いたろう。ジュースでも飲んで休憩しないかい」
 「あら自動販売機さん、ごきげんよう。今日も暑い中ご苦労さま。そうね、ちょっぴりやすんでいこうかしら」
 「そうかいそうかい、いらっしゃい。サイダー、ラムネ、ソーダ水、なんでもそろっているよ。どれにするかい」
 「あら、どれも同じにみえるけれど……。それじゃあこのお腹がくびれた瓶のをひとつくださいな」
 「まいどあり」
 そうして貝殻を三枚あげると、自動販売機さんはお腹をぱかと開けて、瓶を手渡してくれました。透明な玉をカタンと押し込むと、プシュと海の水が溢れ出してきました。それを慌てて口にふくんで、ほっぺたいっぱいにふくれたソーダ水をごくりと飲み込むと、ますます元気になって、また歩きたくなってしまいました。
 「お嬢ちゃん、もう行くのかい」
 「今日はとってもお天気がいいから」

 今日ものどかで静かな島をのんびり歩きます。誰かが窓を開けてピアノを弾いているのが遠くから聞こえてきます。聞いたこともないのにどこか懐かしい音色でした。空にはわたがしのような入道雲が浮かんでいてとってもおいしそうです。そうして島を半周くらいしたところで、しゃぼん玉がとつぜんわたしの目の前に浮かんで、それからぱっとはじけて消えてしまいました。しゃぼん玉がやってきた方向を見ると、ひとりの少年と目が合ったのです。少年はわたしよりもすこし大きくて、髪の毛はまっくろで、お月様のような綺麗な瞳をもっていました。
 「何をしているの」わたしは尋ねました。
 「しゃぼん玉のひとつひとつに名前をつけているんだ」少年がそう言うと、海からやってきた甘い風が吹いて、わたしと少年の間のしゃぼん玉がいっせいにはじけました。少年は輪っかに息を吹きこむと、輪っかは透明で七色の球体をたくさん吐き出しました。
 「あれがビリー、あれがマクマーフィ、なんてね」少年はひとつひとつ指をさしながら名前をつけてゆきました。最後にわたしのことを指さして「君は」と言いました。そのとき、どうしてだかそれがわたしに対しての言葉だとは思えなかったのです。わたしは手に持っていた瓶に口をつけて中の液体を飲みほしました。そうすると瓶の中で海色の球体がカランと音をたてました。
 「これはなんですか?」わたしは少年に尋ねました。
 「それは海のかけらさ」少年はわたしに言いました。
 瓶の底を空に向けると、瓶はその球体をカタンと吐き出しました。それを海の方へかざしたときに初めて、海がどこまでもどこまでも続いていることに気がついたのです。そしてわたしは少しだけ、海の向こうへ行ってみたくなったのでした。
 「満月がいっとう綺麗な日に、はじけた波が飛び散ってできた水玉が、満月の真似をしてそのまま固まっちゃったのがそれだって、聞いたことがあるんだ」そう言って少年も海の方へ視線を向けました。

 海の結晶をだいじにポケットの中へ入れて、しばらく歩くと、今度は送水管さんに出会いました。送水管さんはとっても大きなふたつの目をもっていて、背も高く、いつもタキシードを着ている島いちばんの紳士です。
 「送水管さんこんにちは」
 「ごきげんようお嬢さん、おつかいですか?」
 「いいえ、ただのお散歩よ。そうだ、送水管さんに教えてほしいことがあるの」
 「そうですか、なんでしょう、わたしの知っている限りのことなら」
 「海の向こうにはなにがあるのか、知りたいの」わたしがそう言うと、送水管さんは手を目の下に当ててうーんと唸ってしまいました。
 「わたしは生まれたときからこの島にいますので、海の向こうに何があるのか存じません。ごめんなさい。それに、海の向こうに何があるのかなんて考えたこともありませんでした」
 送水管さんでも知らないなら、わたしが知らないのも仕方ありません。しかし、ますますわたしは気になって、ポケットの上から球体を握りしめました。
 「そうですね、丘の上の時計台さんに聞いてみてはいかがでしょうか。あの方なら知らないことはないはずです。よかったらわたしが丘の上までエスコートしましょう」
 「本当ですか?ありがとう」わたしと送水管さんは時計台さんのところへ向かうことにしました。

 ふたりで丘の上を目指して歩いていると、今度は冷水器さんに会いました。
 「冷水器さんこんにちは」
 「なんだお前らふたりして、こんなところ何もないぞ」冷水器さんはとてもクールな方です。
 「時計台さんのところへ行くの」
 「時計台?あんな老いぼれに何の用があるんだ」
 「聞きたいことがあるの。時計台さんなら知らない事はないと思って」
 「聞きたいこと?わざわざ丘を登ってまで知りたいことがあるのか?」
 「そう。海の向こうにはなにがあるのか知りたいの」
 「海の向こう?それはつまりこの島から出たいってことか?」わたしははっとしました。海の向こう側を見るためには、この島から出なくてはならないことに気付いたからです。
 「そういうことじゃないけれど。でも見たくなったのです」
 「俺は知っているぜ、海の向こうに何があるのか、そしてどうしたら向こう側に行けるのか」
 「本当ですか?教えてください!」
 「いいだろう、ただし、俺を持ち上げられたらな。俺を持ち上げられたら海の向こうに連れていってやろう」それを聞いてわたしは冷水器さんの足元を掴んで力いっぱい持ち上げようとしましたが、びくともしません。
 「お嬢さん、私も手伝います」送水管さんも力を貸してくれました。
 「だめだ、ひとりで持ち上げられなければだめだ。意味がない」冷水器さんはとてもクールな方です。わたしたちは先を急ぐことにしました。

 時計台さんはわたしが生まれるずっと前から、この島のいちばん高いところから島全体を見守ってくれています。やっとの思いで時計台さんのところへたどり着くと、鐘をごーんと鳴らして歓迎してくれました。
 「時計台さん、知りたいことがあってここまで来たの」
 「おや、綺麗なお嬢さん、知りたいこととはなんだね」
 「海の向こうに何があるのか知りたいの」
 「海の向こうまで行ってみたいのかい?」
 「行ってみたい!海の向こうへ行ってみたいわ!でもこの島から出るのはちょっぴりこわいけれど」
 「いいかい、君もいつかこの島から出てゆく日がきます。それは君が大人になるときなんだ」
 「大人になるってどういうこと?」
 「この島から出たいと思ったら、それが大人になるってことさ」
 「わたしにも大人になる日が来るの?」
 「必ず来るさ。ただ、急いではいけないよ」
 「大人になったら、この島を出ていかなくてはならないの?」
 「そうだよ、大人になったらこの島にいてはいけないんだ」


 昼なのに大きな満月が、まぶしいほどに青い空に浮かんだある日、岬に島の住人が集まっていました。しゃぼん玉の少年が島を出る日になったのです。時計台さんも丘の上から岬まで下りてきて、島全体に響くほど大きな音で鐘をごーんと鳴らしました。
 「海の向こう側へ行くの?」わたしは少年に尋ねました。
 「海の向こう側へ行くんだ」少年はわたしに言いました。
 「大人になったってこと?」
 「きっとそうだ。僕も今は、やっと大きな気分になったんだ」
 「わたしも行きたいわ」
 「今はだめだ。でも、待ってる。待ってるよ、カッコーの巣の上で
 「会いに行くわ、おしゃれな服を着て、きっと会いに行く」
 少年、いやかつて少年であった彼は、冷水器さんを頭の上まで持ち上げて、この島を出ていったのでした。ポケットから海のかけらを取り出して満月に重ねてみると、ほんのりあまい海の香りを乗せた風がそっと頬をなでて、また遠くの空へと夏を連れてゆきました。