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ゆるふわ日記

ゆるふわだよね。

正義の完成

 

 

    春を札束に変えた女は乳母車を線路に置いた。一瞬の虚構の快楽によって創造された忌わしい物体を一瞬のうちに無限の快楽へと変えるためだ。乳母車には最上の装飾を施した。花柄模様の布を取り付け、中には色とりどりの花を丁寧に置いた。絶えずいい匂いのする幸福な籠だ。女が最も大切にしていた豪華な燭台も置いた。そして美しい硝子をたくさん詰め込んだ。簡単に割れてしまいそうな色彩硝子や薔薇色のや、紅いのや、青いのや、魔法の硝子、天国の硝子を。その上に唯一、醜く忌々しいその物体を乗せた。女は死を経験したことがなかった。それ故に死の存在を肯定することができず、とある物体に死を経験させることが背徳行為であるなどとは認識しなかった。ただ線路上の乳母車、その聖なる芸術を見据えるのみであった。女が処女だった頃の果実のような頬と深く染められた黒色の瞳は驚くほど美しかった。彼女の愛情を欲する者も少なくはなかった。しかし純潔を奪う邪悪な行為によってそれは腐敗し、濁り、彼女のそのどんな宝石にも替え難い悠久の愛情も、接吻も、その肌も肉体も、わずか数枚の札束の価値しかなくなってしまった。太陽が地平線に沈もうとしている。息が白くなるような冷たい日だった。蝋色の煙を噴き出しながら汽車は線路上を駆けてきた。汽車とは無情なもので引かれた線路の上をただ辿るのみでほんの少し逸れることさえ許されない。回転する車輪が金属と擦れる音がこちらへ近付いてくる。黒く仰々しいその機関車を女は完全なる死の象徴であると認めていた。生を奪う行為、その最も名誉な行為を女はその魔法の機関車に譲った。汽車は線路上の乳母車を確認するとすぐさま甲高い絶叫を放ち自らの速度を落としにかかった。しかしどれほど強く車輪に歯止めをかけても、汽車は乳母車の手前で止まることなどできないことを女は知っていた。その死の慟哭に誘発されたように籠の中から悪魔の泣き叫ぶ音が聞こえた。耳を塞ぎたくなるほどの不快な音だ。汽車は暗黒の煙と死の慟哭を連れてその芸術的破壊を創造するのに充分な速度で悪魔を乗せた美の揺籠に衝突した。花びらが宙を舞い、色とりどりの硝子は橙色の光を浴びて煌めき、真紅の液体が飛散し彩った。それは最も美しい刹那の絵画であった。女は一瞬にして無限の快楽を味わったのだ。女は死の存在を絶佳として肯定した。この世で唯一の完全な美を独り占めにしたのだ。これ以上の幸福があるだろうか。女の頬は釣り上がり漏れる笑声を堪えることができなかった。辺りは紅く染まり飛び散った肉片には硝子の欠片が突き刺さり花びらが添えられた。女は砕けた燭台の皿の部分を拾い、用意していた蝋を取り付け火を灯し、人生は美しくなければ、そう呟いた。正義の完成である。芸術は狂気を孕まなくてはならない。時に死は最も美しい芸術の形であるからだ。美しく彩られた死を目撃したものはその魅力に取り憑かれ逃れることはできない。太陽が堕ちると硝子の破片は冷たい風を受けて揺れる燭台の炎を映し静かに紅い涙を流した。