ゆるふわ日記

ゆるふわだよね。

 花屋の小娘を撲殺しよう。透明な花瓶がそう言った。海に面した花屋にはたくさんの花が並んでいる。軒先のビニールでできた屋根がつくる影にも入りきらないくらいのたくさんの花だ。黄色いのや、紫色の、青いのや、なに色でもない色の、様々な色の花が、様々な形の植木鉢に入って、海からやってきた風を浴びて揺れる。風は砂浜からしゃぼん玉を運ぶ。迷い込んできた透明な球体は、日の光を屈折させて虹色に染めると、揺らしたり光らせたりして遊んでから、花びらの上でぽんとはじけて消えた。花びらのどれもが淡い色をしていて、太陽の光をそっと乗せると、そのまま溶かして飲みこんで、裏側から吐き出している。そんな軒先の端で、ガラスの花瓶がひとつ、赤い花を一輪くわえていた。ほんの少しだけ青を帯びたガラスは液体を含んでそれをほのかな水色に染めている。お腹のところがふっくらと膨らんでいるが、口はすぼめたように細く、そこから太陽の方へ緑色の茎を突き出して先端で赤い花を開いていた。木箱の上にのせられた花瓶と同じ高さまで視線を下げると、黄色や紫色のぼやけた花が、液体の中に浮かび、わずかに揺れる。その花瓶は割られなければいけない。花がそこにあることは許せなかった。赤い花は美しくない。木箱の上にずいぶんと黒い影を落としていた。それは透明でない証拠である。美しいものとは透明なものであり、透明なものが唯一の美しいものなのだ。そして美しいものは、はじけて砕ける瞬間こそが最も美しい。その花瓶は割られなければいけないのだ。植木鉢を蹴飛ばした。その陶器と革靴が衝突する音。その粘土細工とコンクリートが摩擦する音。その穢れた物体に不規則な線が引かれ軋轢する音。すべてが忌々しく吐き気がした。その音を聞いてか、花屋の奥から店番の女が軒先へと歩いてくる。泥のついた靴。黒色のズボン。緑色の前掛け。濁った眼球。後ろでひとつに束ねた髪は、太陽の光を反射すると赤くみえた。処女ではない。亀裂の入った植木鉢は地面を転がり、泥はばら撒かれ、紫色の花が何本か、それに埋もれ穢されていた。女はそれを確認してから、なにか高い声をあげながらこちらを見る。花屋の小娘を撲殺しよう。処女ではないから。純潔を失った女ほど濁ったものはない。この世で最も醜い存在だ。小娘は醜悪な顔面を更に引き攣らせた。穢れた陶器を蹴飛ばしたときと同じように、小娘の腹に革靴で一撃を食らわせると、後ろに倒れ手をついた拍子に植木鉢を倒し、泥にまみれてますます憎い。それからこの女の襟を掴み、道路の海側へと引き摺る。女が手を掴んで抵抗したので、横腹のあたりに何発もの蹴りを浴びせる。すると生臭い声とともに赤く黒い血液を口から吐き出した。それがあまりにも穢くてついに許すことなどできない。花瓶に刺さった赤い花を上から握り潰して抜き取り、右手で花瓶の口を持つと、全身を翻し、小娘の顔面をめがけて思い切り花瓶を振り下ろした。海から色のない空気が一気に押し寄せる。それが開いた手のひらから赤い花びらを一枚ずつ剥がして空中へと舞い上げた。花瓶は粉々に砕け、球状に咲く。花瓶の中では水色だった液体は色を失い、はじけて無数の透明な球体へと姿を変えた。赤い花びらは空気に浮かび、踊るように揺蕩い、そのうちの一枚が太陽に重なって、確かに光を貫通させ橙色に輝く。ガラスの欠片の不規則で不揃いの面は、交互に太陽を反射させて光り、それが不意に眩しくて目を細める。球状の液体はガラスの欠片にぶつかると更にはじけて分裂し、花びらにぶつかるとその表面に張り付いてそのまま風にのって旅に出た。その風に乗ってきたしゃぼん玉がはじけてなにも残らない。海の表面は太陽の光を反射させ燦々と煌めく。女の髪は水に濡れうっすらと赤い液体も滲んでいる。ガラスの欠片は地面にひとつずつ落ちていって、それらは白く濁っていた。そのうちのひとつに赤い花びらがそっと重なり、そこに水で薄められた血液がひとつ落ちて浮かんだ。その半球は透き通っていて僅かな光の屈折をもって花びらの表面にある凹凸の手触りまで明確に伝えてくれる。やがて半球は風に揺らされ、花びらの表面を歪めながら滑り落ちていった。女は静かに横たわる。一瞬のうちに無限の快楽を味わったのと同時に深い絶望の底に落ちていた。膝に痛みを感じる。気付くと地面に跪いていた。片膝を立て、刺さっていたガラスの欠片を抜くと赤く黒い血がべとりと付着していてそれはもう光を貫通させることができない。背筋に刺すような視線を感じた。振り向くと小娘が大きな植木鉢を掲げてこちらを睨みつけていた。その眼には涙が滲んでいる。小娘は目の前で掲げた植木鉢をこちらに落とした。頭部に鈍痛が響く。直後に砕けた陶器の破片と泥が落ちてくる。その隙間から小娘の目から透明な液体が落ちて空中ではじけるのが見えた。

 空は橙色に染められていた。全身から鈍い痛みを感じる。どうやら花屋の前の砂浜に落とされたようだ。右手には黒く濁った血液がべとりとついており、そこに泥がこびりついている。慌てて白い砂の中に腕を突っ込むと、指先に固いものがあたった。掴んでひっぱりだしてみると、それはラムネの瓶である。それが透明だったから、両手で握って自らの頭に全力で叩きつけた。美しき痛みが走る。宙に舞うガラスの欠片たちは、斜めに射す光を浴びて煌めき、砂の上に落ちてゆく。そのなかにひとつ、透明色の球体があった。それを太陽の方へかざしてみる。太陽の光は昼間よりも多くの空気をくぐって、橙色の光だけを届けてくれる。きっとこれが本当の太陽の色なのだ。この空や風こそが、最も透明なものなのかもしれない。海の表面もそれを反射して橙色に揺れている。球体の中には海も雲も空も、遠くで浮かんでいる船も、全てが逆さまになって閉じ込められていた。それを力いっぱい海へと投げる。透明色の球体は水面に落ちて、それからまた別の球体が宙に浮き、いちばん高いところでぱっとはじけた。